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亡羊と遊ぶメランコリー――小説家志望・束木志埜のブログ

小説家を目指すわたくしのブログ。色々なことに関心を持ち、できる限りのことをしたく思います。小説・アニメ・漫画等々の感想や日々のこと、創作についても書いていきます。よろしくお願いします!

ブログ開始一週間、十記事目のPV発表

ブログ運営
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目次

はじめに

 諸君、ここで一つ断っておこう。

 わたくし、束木(たばき)志埜(しの)はSEOを解しません。何をすれば良いのかも、実はまったく解っておりません。
 そのようなブログ初心者兼無知無知ボーイたるわたくしも、ブログを開始して早一週間。投稿記事も、いよいよ十記事を超えました(一度、プライバシーポリシーについての記事がありましたが、あれは記事としては違うような気がしたのでノーカンで)。

 つまり、今回の記事は、ブログ初心者で、ブログ開始一週間目で、十記事目で、何の工夫もしていないわたくしがPVを発表しようかな、というお話です。


 まず、結論からぶっちゃけます。

  大体二百です。

 そのうち、わたくし自身の執拗な閲覧がございましたから、実際はもう少し控えめでしょうね。おそらく、これくらいが普通なのではないでしょうか。


 これでもわたくしはお話を日常的に書いていましたので、駄文を重ねることだけには慣れております。ですから、一週間で十記事を書くことは難しいことではありませんでした。けれど、質はいまいちだったようです。自覚ありけり。

 

みなさん凄いですけれど

 わたくしも無欲ではございませんので、出来ることならば、誰かに見て貰いたいという露出狂的欲求があります。故に、検索したりするわけですが、そこに描かれているのは夢のような数でばかり。


え、わたくしが図抜けてゴミなの?


 何度もそう思いましたとも。それでも、二百は二百で仕方がありません。現実を受け入れ、夢は見るだけに留めておくことにします。
 それに、たった一人でも閲覧してくださる方がいる。それってきっと奇跡です。ついつい、わたくしたちはPVを数字であると見てしまいますけれど、そこにいるのは紛う事なき――人(もしくは検索ロボット?)。その方を大切にしていく必要がありますね。
 夢のような数字も重要ですが、まずは身の丈にあった活動をしていくべきですよ。夢を見るのは大変心地よく、楽しいことではありますけれど、それだと現実を生きていくことが難しくなってしまいます。


 焦る必要はないのです。


 今は二百。まずはそれで良しとして、ゆっくり歩を進めていきましょう。出だしが地味でも、いつか大成する心持ちが肝心です。――と思われます。
 ブログ初心者がなにを偉そうなことを……というご指摘はご尤も! しかし、この記事はおそらく、わたくしのような初心者に向けたモノなのです。
 まあ、要するに、めげずに行こうぜ、ということですね。……結論がしょぼい。

 

 おわりに

 これからも、定期的にPV等は報告していこうかと思います。これで一つ記事ができるのは、わたくしにとってはメリットですし、こういう徐々に数を増やしていく系のゲームが、わたくしは大好きなのです。本当は、SEOとかを勉強するべきなのでしょうけれど、ピコピコは苦手なのです。一太郎をPCに導入することすら覚束なかった束木にとって、SEO等のムツカシイ言葉は大敵なのですよ。けれど、当然、いつかは習得するべき技術・知識なのだろうとは思います。
 もしも、わたくしが会得した暁には、それもまたご報告します。

 

 おわりのコーナー

  語彙力向上のため、一日一つ、言葉を覚えていこうかと。てきとーに辞書をひきまして、その中から良い感じのモノを載せますね。もちろん、意味付きで!

 ただし、わたくしの定義する語彙力というのは、知っているだけでは駄目なのです。咄嗟に作中で使えなくては意味が無いのです。ですから、比較的簡単な言葉も、敢えて意味を調べて載せることがあるかと思われますね。

 

 今回の語彙は『煮詰まる
 1 煮えて水分がなくなる。「汁が煮詰る」
 2討議・検討が十分になされて、結論が出る段階に近づく。「問題が煮詰ってきた」→生煮え

 これは最近では、真逆の意味で使われることもある難しい言葉です。おそらく「行き詰まる」と混同されているのでしょう。
 本当は「議論が出尽くして、良い感じに答えが出そうだぜ」という感じの意味なのですが、最近は「もうでねえよう。何もでねえ。無理だぁ」という感じに取られてきております。
 言葉は時代と共に移り変わっていくもの……という意見には賛成ですが、使い方には気を付けないと、どちらの意味で使っているのか解らなくなってしまいますよね。
 
 もしも、誤用とされている方の意味で使用するのでしたら――小説に使うときです――ちょっと工夫が必要でしょうね。例えば
「煮詰まりを感じた。無論、この場合の煮詰まるが誤用であることは承知の上だ。それでも、この心の底にヘドロのようにこびりつく倦怠に、敢えて名を与えるのならば、それは間違いなく煮詰まりであった」のようなフォローが必要でしょう。
 が、このようなくどい文章を書くくらいならば、普通に行き詰まるで良い気もしますがね。まあ、その辺り工夫はそれぞれの努力次第ですよね。余計な口出しでした。

 では、さようなら。