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亡羊と遊ぶメランコリー――小説家志望・束木志埜のブログ

小説家を目指すわたくしのブログ。色々なことに関心を持ち、できる限りのことをしたく思います。小説・アニメ・漫画等々の感想や日々のこと、創作についても書いていきます。よろしくお願いします!

自分の文体が欲しい……

様々なこと
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はじめに

 唐突に、洗いざらいを打ち明けてしまうと、わたくしには自分の文体というモノがない。いや、もしかするとあるのかもしれないけれど、それはただの読みにくい文章に違いなく、読者に優しい親切設計であるとは言えないだろう。

 

 そう、丁度、このような風に。

 

 最近のわたくしは、あまり順調ではないご様子。

 というのも、なんだか文章が書けなくなっている。試しに書いてみても「なんだか違うなぁ」と、すぐに消してしまう。幸い、文章はPCで書いているので、消しゴムがすり減り、自己経済および環境が害される心配は少ない。

 が、むしろ、それがいけないのかもしれない。

 失うモノが少ないからこそ、無闇矢鱈に消しまくる。

 

 わたくしは文章を書きたい。だが、やっていることは永遠、文章を消すことだけ。

 

 あまりもの進展のなさに、目の前のモニタに拳を叩き込みたくなる。やってみたところで怪我をするだけだと思うのだが、さぞや晴れやかな気持ちに瞬間だけ包まれるだろうという確信もある。

 けれど、やらない。

 というか、やれない。

 

 痛いのは嫌いだし、PCはそこそこのお値段がするし、壊したら文章を書く場所が減ってしまう。

 最も問題なのは三つ目だ。

 

 

 わたくしは書くことが好きだ。

 才能のなさと努力不足を、わたくしはよくよく理解しているつもりだ。わたくしにはお話を書く権利、実力がないのかもしれない。

 それでも、書くことだけは結構好きなのだ。

 

 だから、PCを壊すのはまたの機会として、今回、わたくしはこの苛立ちをキーボードに叩き付けようと画策している。その方がきっと健全だし、何より、何かの助けになるのかもしれないからだ。

 

 

 最近のわたくしは、ずっと同じ過ちに囚われているように思われる。

 わたくしは小説が書きたいのであって、シナリオを書きたいわけではないのだ。それを理解せずに、ずっとシナリオを書いていたように思う。

 

 これはいけない。

 

 シナリオを書く、ということがいまいち解り辛いかもしれない。が、これはどうか容赦していただきたい。何故ならば、わたくし自身、自分の言っていることがよく解っていないのだから。完全に、御間抜けを晒すことになっているが、仕方ない。

 

 ちょっと説明を試みると、要は、つまらない文章を書いていた、ということだ。

 

 小説というのは――素人の考えだから、馬鹿にして欲しい――事実だけを書くのではないのだと思う。事実を書くことは大切だけれど、それをどう書くのかが大事なのではなかろうか。

 

 例えば、訳あって三千里くらい離れてしまった親子が、感動の再会でも果たしたとしよう。それを描く際に、ただ「親子は再会した」と書くだけならば、それはもうシナリオだ。

 どういう風に、どのような感情で、情景で、心理で、「親子は再会した」のかを書かねば意味がない。ただ事実だけを書いて、一体何になるのだろうか。

 

 ――何かになるのかもしれない。

 

 けれど、それは絶大な筆力があってこその偉業だ。

 残念ながら、わたくしには文章力も、妄想力も、演出力も、何もないし、足りていない。このような状況のわたくしがただ「親子は再会した」と書いても、誰の心にも響かない(わたくし自身にも)。

 

 ここ数日のわたくしはずっとそうだ。

 自分にすら響かない、虚ろな言葉を連ねている。

 

 どうやれば上手く行くのか、考えた。考えた結果、わたくしは語り方を間違えているのだという結論に至り、ではどのように語ろうかという壁にぶち当たった。

 

 一人称小説ならば、わたくしは結構自由に書ける。

 何故ならば、語り手にすべてを一任してしまえば、あとは勝手に万事終了に事欠かないからだ。

 だけれども、ことが三人称小説ともなると、またお話は変わってくるように思われる。誰に文章を任せれば良いのか、解らないのだ。

 だからこそ、わたくしはありのままを素直に描いた。生半可に知識を吸収した所為で、付け焼き刃の情景描写で演出と心理描写を行ったりもする。なんというか、ぎこちない。

 

 であれば、とわたくしは思った。

 わたくし自身で語れば良いのではなかろうか、と。

 

 つまり、三人称神視点とか色々あるうちの「三人称作者視点」で行こうかと思った。

 わたくしの三人称小説がつまらないのは、文体に命がないからだ。であれば、そこに命――要はわたくしだ――を吹き込めば様になる向きもあるのでは、なんて愚考した。

 

 だが。

 けれど、ここに問題が立ち塞がる。

 わたくし視点の小説が果たして面白いのだろうか、という疑念だ。これはあくまでも、文章をわたくしの個性に寄せて書くと言うだけで、別に「とAは考えていた。ちなみに、作者はメロンパンは嫌いである(メロンパン好きの皆々様、許してください)」みたいなことを書くという訳ではない。

 文章に自分の個性を投影するだけで、わざわざ顔写真付きで地の文に登壇しようだなんて考えていない。流石に、それは……引くし。

 

 

 小説を書く上で、どうにもわたくしはわたくしを殺しがちだ。いや、小説のときだけでなく、文章を書くとき、わたくしは毎回自分を入念に殺害してから筆をとる。

 

 そうしなくては、どうにも、束木志埜ははしゃぎすぎてしまうからだ。

 

 それぞれ、作風というモノがあるだろう。

 ギャグを主軸に据えた作品で硬派な文章は似つかわしくない。

 ハードボイルドな作品に、「Aは瞬間、眠気を感じちゃった。きゃは。乙女の睡眠は美肌を持続する上で必須なんだぞぅー」みたいな文章が見受けられれば、即ページを引き千切る。

 

 そういうことだ。

 

 作品の雰囲気に合わせた文体は、どうにも大事らしい。

 一方、わたくしはこれを大事にし過ぎているきらいがある。だからこその無個性な文章で、うわべだけをなぞるような、ただのシナリオを書いてしまう。

 シナリオを書くことはとても大切だが、それは別の働きである。

 

 ともかく、大事にすることは大事だが、大事にしすぎると大事に至る……ということだ。……まだ二十歳と一つのわたくしだが、ギャグセンスの枯れ具合が凄まじい。

 

 ある程度の自分を確保してから、書く必要があるかもしれない。

 ただし、ここにまだ懸念がある。

 今書いているお話は、残念ながらにシリアスだ。それも、世界が一度滅んだ後のお話で、人も死ぬときは死ぬし、鬱々した展開も多くある。その上で、戦闘も格好良く見せたいという人情に苛まれている。

 

 が、わたくしはわたくしの持つ本来の文体で、わたくし自身の個性で、これらを上手く描ける自信がない。

 要約すると、向いていないのだ。

 

 書きたいお話が、自分に決定的に向いていない……その事実に到着したわたくしは、どうすれば良いのだろうか――という迷いと共に、今回、ブログの記事を手がけてみた。

 残念ながら、わたくしはまだわたくしを殺してしまうようで、ここに書いている文章もまた、わたくし本来の文体ではない。

 

 ほんと、わたくしはどうすれば良いんでしょうか。

 

おわりに

 自分が満足いく文書を綴るためには、もう少し自分を出さねばならない、という答えは出た(あくまでも、わたくしの中での答えで、他の方にはまた別の答えがあろうかと予測されます)。自分の作風、文体を獲得するということだ。

 けれども、その結果、書けるお話の範囲がかなり絞られてしまうのではなかろうかと思っている。そして、何よりも厄介なのが、わたくしの好きな、書きたい小説が、わたくしには向いていないかもしれない、ということだ。

 

 これはどうにかしなければならない。

 わたくしを出した結果、わたくしの書きたいものが書けないだなんて、ちょっと恥ずかしいではないか。

 どうにかする方法が、いまのところまったく思い付かないので、「誰か答えを投げてくれないかな」と妄想する日々になりそうな気配がする。

 

 もっと良いお話が書きたいだけなのに、どうしてこんなにも悩むのだろう。

 

 とあれ、何もまとまっていなくて申し訳ありません。わたくしはこういうブログの使い方をする人間ですので、どうか、今回のことは忘れてやってください。以上です。

 

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